2007年03月30日
ホットペッパーグルメ手帳に登場
◇3月30日(金)◇ 晴れ
こんばんは高橋です。いよいよ桜も満開近くなってきました。皆さん、花見はもうお済みですか?僕は来週には何とかしたいなぁと思ってるところです。
さて今日は、メディア掲載のお知らせです。先月スタートしたリクルートの「ホットペッパーのグルメ手帳企画」に、なんと私、高橋が掲載されました。 タイトルはこれ↓
「グルメ手帳スペシャル 業界人お気に入りのお店大公開!」
さすがはリクルート。すさまじくキャッチーなタイトルです。サイト訪問者数はなんと月間600万ユニークだとか。1日20万人?う〜ん現実感ない。スゴいなぁ。けど、その派手なタイトルに負けず劣らず豪華なメンバーがページを賑わしているようです。
↓なんと表紙は「キム兄」です。コーナーを下にスクロールしていくと・・・

↓すると、左の段の上から5人目、「坂本冬美さんの下」に発見しました!

皆さん、「モデル」とか「タレント」「歌手」「アナウンサー」など、素敵な肩書きがズラリと並んでいます。気になっているのは、「元ミス日本」と「青年実業家(笑)」(←ちゃんと笑が付いてるの)。そんな豪華メンバーの中、僕の肩書きは・・・「カウテレビジョン」 はい、これしかないでしょー!
↓顔写真をクリックすると、さらに詳細インタビューへ!

ということで、素敵なフィールドをお膳立ていただいたので、今後、僕のブログ記事のうち「食」については、この「ホットペッパーグルメ手帳」に書いていくことに決定。 「ブログもある程度ポイントを絞って書いた方がいいなぁ」と感じていたところだけに、「渡りに船」といった感じです。
今回の話を紹介してくれたリクルートの千葉とも君、手配して下さったホットペッパーの錦織さん、ありがとうございました。
>>グルメ手帳企画「業界人お気に入りのお店大公開」はコチラ
それでは、また明日!
2007年03月29日
悲しみからの再出発
◇3月29日◇ 晴れ
恩人・井上和彦さん(享年39)の葬儀がしめやかに行われました。
私は井上さんへの感謝の気持ちを綴った弔辞を読ませていただきました。
博多人形師井上和彦さん、あなたの栄光を私は決して忘れません。
そして、これまでに撮り溜めた動画であなたの歴史を綴っていきます。
10年間本当に色々な想い出をありがとうございました。
明日からまた頑張ります。あなたの分まで精一杯生きていきます。
恩人・井上和彦さん(享年39)の葬儀がしめやかに行われました。
私は井上さんへの感謝の気持ちを綴った弔辞を読ませていただきました。
博多人形師井上和彦さん、あなたの栄光を私は決して忘れません。
そして、これまでに撮り溜めた動画であなたの歴史を綴っていきます。
10年間本当に色々な想い出をありがとうございました。
明日からまた頑張ります。あなたの分まで精一杯生きていきます。
2007年03月28日
井上和彦人形師の訃報
◇3月28日(水)◇
高橋です。尊敬する博多人形師・井上和彦さんが、急性心不全のため、お亡くなりになりました。(享年39) 先日お会いしたばかりで、あまりの急なことに、状況が飲み込めず、まだ頭がボーっとしています。
ただ、今は、井上和彦さんのご冥福をお祈りするばかりです。また追ってご報告いたします。
◇井上和彦さんのインタビューについて
今回のご訃報に際し、現在、カウTVでは博多人形師井上和彦さんのインタビュー(社長室101内)を一時的に閉じています。3月29日のご葬儀の後しばらくして、井上さんのご家族と相談の上でカウTV上でのオンエア再開の可否を判断しますので、それまで少々お待ちください。オンエア再開の決定についてメールでお知りになりたい方は、コチラのアドレスまで「井上さんのインタビュー連絡希望」との旨をご記入の上、メール送信ください。判断が出次第、カウTV事務局からお知らせいたします。なお、葬儀等の情報をお知りになりたい方は、井上博多人形工房のブログをご参照ください。
2007年3月28日
スピンアウト株式会社 代表取締役 高橋康徳
2007年03月15日
博多人形師とドキュメンタリー
◇3月15日◇ 雨ときどきミゾレ
今日は寒いですねぇ〜。ブルブルブル。高橋です。
けど、心はポカポカなんです。
その理由は昨日、記者時代から10年来のお付き合いである
博多人形師の井上和彦さんと1年ぶりにお会いしたからです。

■博多人形師・井上和彦という人物
井上和彦さんは祖父の代から4代続く博多人形師一家の4代目。
祖母のあき子先生は「現代の名工」にまで選ばれた偉大な方であり、
和彦さんは、その志を継ぐ者としてこの道一筋を追求されています。
僕は、そんな井上さんに2度にわたって密着取材しています。
■2度の密着ドキュメンタリー取材
1度目は、僕がまだテレビの報道記者だった1998年。
井上さんが博多の夏祭り「山笠」の人形師として大抜擢された時にフジ系列の
ニュースJAPANで特集ドキュメンタリー番組を作らせていただいたもの。
井上さんにとって「初めての山笠」、僕にとって「初めてのドキュメント」で、
右も左も分からない中、共に四苦八苦しながらその半年間を乗り切りました。
そして2度目は独立直後の2004年。
僕が独立最初の仕事として選んだのが、山笠が上海に上陸する歴史的行事の
ドキュメンタリーでした。そして奇遇なことに、その人形師として抜擢されたのが
他ならぬ井上和彦さんだったという劇的なめぐり合わせでした。
この時の密着もやはり半年間。2月から9月まで張り付きながら、
人生の節目を共に過ごさせていただいたのでした。
なので「井上和彦」と「山笠」という2つのテーマは、もはや僕にとって
“ライフワーク”と言っても過言ではないのです。
■そして再会、3度目のコラボへ・・・
そんな井上さんから今回、「ある依頼」を頂き、1年ぶりの訪問となりました。
まだ詳細は明かせませんが、お役に立てるよう全力で頑張ると誓いました。
大学卒業から17年間、人形一筋にまい進されている井上さんの姿に
感動と共感をいただき、「よし僕も頑張るぞ!」と力が沸いてきました。
井上和彦さん、いつもいつもありがとうございます。
→井上和彦さん(カウTV社長室No.028)のインタビューはコチラ
今日は寒いですねぇ〜。ブルブルブル。高橋です。
けど、心はポカポカなんです。
その理由は昨日、記者時代から10年来のお付き合いである
博多人形師の井上和彦さんと1年ぶりにお会いしたからです。

■博多人形師・井上和彦という人物
井上和彦さんは祖父の代から4代続く博多人形師一家の4代目。
祖母のあき子先生は「現代の名工」にまで選ばれた偉大な方であり、
和彦さんは、その志を継ぐ者としてこの道一筋を追求されています。
僕は、そんな井上さんに2度にわたって密着取材しています。
■2度の密着ドキュメンタリー取材
1度目は、僕がまだテレビの報道記者だった1998年。
井上さんが博多の夏祭り「山笠」の人形師として大抜擢された時にフジ系列の
ニュースJAPANで特集ドキュメンタリー番組を作らせていただいたもの。
井上さんにとって「初めての山笠」、僕にとって「初めてのドキュメント」で、
右も左も分からない中、共に四苦八苦しながらその半年間を乗り切りました。
そして2度目は独立直後の2004年。
僕が独立最初の仕事として選んだのが、山笠が上海に上陸する歴史的行事の
ドキュメンタリーでした。そして奇遇なことに、その人形師として抜擢されたのが
他ならぬ井上和彦さんだったという劇的なめぐり合わせでした。
この時の密着もやはり半年間。2月から9月まで張り付きながら、
人生の節目を共に過ごさせていただいたのでした。
なので「井上和彦」と「山笠」という2つのテーマは、もはや僕にとって
“ライフワーク”と言っても過言ではないのです。
■そして再会、3度目のコラボへ・・・
そんな井上さんから今回、「ある依頼」を頂き、1年ぶりの訪問となりました。
まだ詳細は明かせませんが、お役に立てるよう全力で頑張ると誓いました。
大学卒業から17年間、人形一筋にまい進されている井上さんの姿に
感動と共感をいただき、「よし僕も頑張るぞ!」と力が沸いてきました。
井上和彦さん、いつもいつもありがとうございます。
→井上和彦さん(カウTV社長室No.028)のインタビューはコチラ
2007年03月14日
ホワイトデーは福岡生まれ
◇3月14日◇ 曇り
今日はホワイトデーですね。
男性の皆さん、返礼の準備はいかがですか?
ところ!
このホワイトデーという記念日、
実は福岡から発祥しているってご存知でしたか?
カウTVでは「その事実」をしっかり証言インタビューしています。
発祥の元となったのが、福岡で100年以上続くお菓子屋さん石村萬盛堂。
そしてホワイトデーを生み出した張本人が、
その3代目・石村悟(ゼンゴ)社長です。↓この人!

ホワイトデーは最初は「マ○○マ○デー」だったそうです。
きっといい話のタネになると思いますので、ぜひ聞いてみてください。
→石村悟社長(カウ社長室No.034)のインタビューはコチラ
今日はホワイトデーですね。
男性の皆さん、返礼の準備はいかがですか?
ところ!
このホワイトデーという記念日、
実は福岡から発祥しているってご存知でしたか?
カウTVでは「その事実」をしっかり証言インタビューしています。
発祥の元となったのが、福岡で100年以上続くお菓子屋さん石村萬盛堂。
そしてホワイトデーを生み出した張本人が、
その3代目・石村悟(ゼンゴ)社長です。↓この人!

ホワイトデーは最初は「マ○○マ○デー」だったそうです。
きっといい話のタネになると思いますので、ぜひ聞いてみてください。
→石村悟社長(カウ社長室No.034)のインタビューはコチラ
2007年03月06日
たこ焼き八ちゃん堂(1)
◇3月6日◇ 晴れ
今週末の社長インタビューは、お待ちかね!
福岡県内有数の優良企業と噂される、たこ焼き八ちゃん堂です!
創業者、川邊義隆社長にインタビュー出演いただきました。
(以下敬称略)
八ちゃん堂の創業は、1977年2月。
スバルの幹部候補として有望視されていた川邊は突如、たこ焼きの道に転じる。
「3人の子どもや妻を路頭に迷わせることになるぞ!」
当然ながら周囲は猛反発。
特にスバルの上司でもあった父は激怒し「何があっても頼るな!」と言い放った。
川邊の計画に賛成してくれたのは妻ただ一人だった。
それでも川邊には、確たる勝算と自信があった。
当時のたこ焼き業界は露天商や車売り中心、いわゆる「家業の世界」だった。
川邊は、日本初の「組織的なたこ焼き企業を創る」と決意して臨んだのだ。
しかし、どの企業も同じだが、駆け出しは非常に貧しいものだったという。
創業の地として川邊が選んだのは、生まれ育った大都市・福岡市ではなく、
福岡県南部の小さな町、瀬高町(現みやま市)だった。
「この地域は、大牟田・久留米・大川・柳川・八女・筑後と6市で50万の人口がいた。
大都市に負けない市場があったんです」(インタビューより)
資金のない川邊はまず、火事で焼け落ちたガソリンスタンドを本社として借り上げ、
コンクリートの床にダンボールを敷きつめた。夜は登山用の寝袋に包まって寝た。
電気は切れていたのはロウソクで代用し、飯は登山用の携帯コンロで炊いた。
「ガソリンスタンド跡に乞食が住みついた」 当時、周囲はこう噂したという。

極貧の創業からわずか一年。八ちゃん堂は驚くべき急成長を遂げる。
なんと初年度の納税で、800万円の税金を納めたのだ。
最初は1台だった軽ライトバンは年末には10台を越えていた。
なぜ八ちゃん堂は、これほど短期間で一気に成長できたのか?
そこには、明確な戦略と戦術があったという。
詳しくは川邊社長インタビューのVTR2にて!
→八ちゃん堂川邊義隆社長(カウ社長室No.048)のインタビューは3月10日OA始!
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■今日のモチマネワード
モチマネワード474:たこ焼き八ちゃん堂(1)
今週末の社長インタビューは、お待ちかね!
福岡県内有数の優良企業と噂される、たこ焼き八ちゃん堂です!
創業者、川邊義隆社長にインタビュー出演いただきました。
(以下敬称略)
八ちゃん堂の創業は、1977年2月。
スバルの幹部候補として有望視されていた川邊は突如、たこ焼きの道に転じる。
「3人の子どもや妻を路頭に迷わせることになるぞ!」
当然ながら周囲は猛反発。
特にスバルの上司でもあった父は激怒し「何があっても頼るな!」と言い放った。
川邊の計画に賛成してくれたのは妻ただ一人だった。
それでも川邊には、確たる勝算と自信があった。
当時のたこ焼き業界は露天商や車売り中心、いわゆる「家業の世界」だった。
川邊は、日本初の「組織的なたこ焼き企業を創る」と決意して臨んだのだ。
しかし、どの企業も同じだが、駆け出しは非常に貧しいものだったという。
創業の地として川邊が選んだのは、生まれ育った大都市・福岡市ではなく、
福岡県南部の小さな町、瀬高町(現みやま市)だった。
「この地域は、大牟田・久留米・大川・柳川・八女・筑後と6市で50万の人口がいた。
大都市に負けない市場があったんです」(インタビューより)
資金のない川邊はまず、火事で焼け落ちたガソリンスタンドを本社として借り上げ、
コンクリートの床にダンボールを敷きつめた。夜は登山用の寝袋に包まって寝た。
電気は切れていたのはロウソクで代用し、飯は登山用の携帯コンロで炊いた。
「ガソリンスタンド跡に乞食が住みついた」 当時、周囲はこう噂したという。

極貧の創業からわずか一年。八ちゃん堂は驚くべき急成長を遂げる。
なんと初年度の納税で、800万円の税金を納めたのだ。
最初は1台だった軽ライトバンは年末には10台を越えていた。
なぜ八ちゃん堂は、これほど短期間で一気に成長できたのか?
そこには、明確な戦略と戦術があったという。
詳しくは川邊社長インタビューのVTR2にて!
→八ちゃん堂川邊義隆社長(カウ社長室No.048)のインタビューは3月10日OA始!
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モチマネワード474:たこ焼き八ちゃん堂(1)


